2016年12月2日金曜日

黄色い電車

facebookに投稿したのですが、

「昨日は、京急に乗ったら「幸せの黄色い電車」だったらしい。たまたま乗り合わせた、超久しぶりの先輩が教えてくれた。ていうか、その先輩とそこで出くわし たことがそもそもものすごい偶然なのですが。ずいぶんお痩せになってたので、声かけられなければ分からなかった。向こうも、私が楽器ケース背負ってたので 気づいてくれたようだ。ピアノを弾く先輩なので、そのうちピアノレスのセッションの時にでも飛び入りで一曲弾いてもらうという約束をして別れてリハーサル 場所へと向った。
リハーサルでは同い年のツノケンと小田島がいて、これがなんだか3バカトリオみたいな、ハチャメチャなリハーサル。もう30年来のつきあいですが、三つ子の魂百までだなあ。本番が楽しみだ。
で、リハーサル後、神保町へ。さがさんとデュオでの即興ライブ。すごく良い、というか、あるべき姿の一種であった。さがさんとも30年来??なのに、こちらもようやくめぐりあわせたような感覚だったので、総じて不思議な日だった。」

そしたら、この京急で偶然再会した先輩からコメントいただき、出会う数分前にモンクの「13日の金曜日」を私と水谷さんが演奏している場面が頭をよぎった、とのこと(この先輩は私と水谷さんにとっての共通の先輩)。 ままそういう事はときどきありますね。共時的現象というやつか。いや、先輩によると「非宣言記憶の中の遂行的記憶」というものだという事です。

ということで、この夜のライブは非常に良かったんですが、なんというか、このところの色々な自分の内面の出来事に関するひとつの答え合わせのような感じで。だいたい合ってた、ともいえるし、もうすこしがんばりましょう、でもある。ですが、方向性が、だんだん体感できるようになってきた。その延長として、翌日の整体道場での即興演奏も、ライブとは性格がだいぶ違うことは違うのですが、心地良く、居合わせた人々それぞれに寄り添えるような、空間を包むような、音ですね。決して強くない音。押し付けがましくない音。ライブではもう少し強さも必要だったかも。強さというよりは温度を上げなければならなかった。温度と言えば、強くないけど温度高い、というのも存在する。あとスピードと。けど、条件の組み合わせによってすべて左右されるな。誰かがあまりにも強度の音を発すると破れてしまう等々、というか。まあ、いままで鈍感にさんざん破り散らかしてきたおそれのある私がこんな事を言うのもナンなんですが…。

スピードと温度。あとは、歩いたあとに道ができる、という高村光太郎みたいですが、音って当然、出したら消せない。ところが、往々にして、あ、こうじゃない、こうじゃない、というような迷いが消えないときありますね。もうずっぽりと迷いの中にはいりこんじゃって、消そうとする事さえ忘れて。そうではなくて、スーッと線を引いたら、それが今日の線。というぐらいの一種の諦念?というか、逆にそれをめでる、楽しむ、という事が出来たら良いなあ。ここまでくると、いくら練習してもだめで、一種の境地の問題だけど、それにいたるにはやっぱり練習というか実践が必要なんだよなあ。時間かかります。天才じゃないから。

というほとんどアタマの思考回路からこぼれ落ちそうになるようなことを考えながら、日曜はドルフィーで演奏します。




 

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