2016年9月26日月曜日

聴く方法

もともと、あまり聴き取りは得意ではない。言葉でも、音楽の聴音でも、え?え?となること多し。譜面上では簡単なようなものでも実際音で聴くと複雑に聴こえてしまいます。その逆パターンはあまりなさそうだから、視覚上位なんだろうか。しかし^_^、いったん譜面見ないことにすると、見るのが煩わしくかんじたり、厄介ですね。

ところで、「ジャズは(バロック音楽は、でも箏曲は、でもいいけど)全部同じに聞こえる」と言われることありますが、これは予備知識ない人が囲碁や俳句に対して抱く感想に似てるのかもしれない。まあ、決定的に違うところもあるとは思いますが。さらにいえば、英語の文学はアルファベット26文字によるわけですが、日本語や漢字を使う文化圏だと、そこが全く違ってて、微妙な色合いの文字パレットを持ってるようなもんです。それに慣れてると、26文字で、なんて、ちょっと閉所恐怖に陥りそうな気さえする。しかしその強力な枠組みを、ネイティヴな英語(もちろんあらゆるアルファベット記号群を用いる文化圏の人)意識してはいないんだろうな?日本や中国の、文字数すなわちリズムによる枠組みの発達は、この文字そのものの無限な増殖に対してのリアクションなのだろうか。

音を聞いてそれを再構築するのも

時間ぎれ(^^)
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というわけで、朝思いつきで急いで書いて、忙しく働いてたら何を考えてたのか忘れた…。ゆっくり思い出そう。

まあ、とにかく、何か認識するのにはワクとか型が必要で、基本とか型とかルールとかいわれているものを身につけてこそ享受できるし創造もできるのだろう。もっと自由でも良さそうなものだが、何かを理解するという精神の働き、システムそのもののことなので、そういうことになる。問題は、自然はそんなものを問題としていないことなのだ。

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