2016年6月6日月曜日

7/2 続々々々酔狂即狂にむけて

即興演奏vsダンス。

実は、ある見えないものの切り方の違いなのではないか??

その見えないものは、切らないと感覚することができないもの。

即興演奏はダンスを含んでいるし、ダンスは音楽を含んでいる。

んじゃないかな〜〜。そう考えると気が楽になってきた…


まあ、これまでは、音楽とダンスを隣りの部屋の住人のごとく意識していたかもしれません。どちらが主か従かなどと、不毛な考え事もしていたかも。

ということで、ダンスは音楽の動きが可視化したもの、音楽は透明なダンス、と考えるか。 つまりここでは視覚がかなり重要な役割をしている。

聴覚と視覚の関係。これは、視覚の方が大家さんであるらしい。脳のかなりのスペースは視覚野が占めている。しかし、脳だけが考えるのでもないらしい。管楽器は必ず声門を使うのだが、声門は思考に与える影響大きい気がする。

閑話休題。具体的に言えば、どうやってダンサーと共演者を等価にするか。多分、当日はダンサー対演奏者2名、という組み合わせが行われる可能性が高い。ので、これは考えやすい。 かもしれない。それどkろじゃないかもしれないけど。

ひょっとして、すべてをダンスに還元することができるのか…。わからない。

なにか、還元するということでいえば、すべては詩に還元できる、ということをいう人は多い。言葉のない詩に還元するのか。透明なダンスや、聴こえない音楽。などと言っているのは多分、すべて「詩的」表現ともいえる。「詩」すなわち、言葉、が一番にくる。 言葉、と言ってもこの際、文字というわけではない。文字以前の蠢き、これをある角度で投影したのが詩であり音楽でありダンスなのだが、多分詩がもっともシンプルであろう。シンプルで力あるものはすべてを規定することになる。

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