2015年5月9日土曜日

即興音楽の自然保護

とにかく、即興演奏というもの、これは、どうやったらできるようになりますか?と問われたとしたら、わかりません、としか返答のしようがない…。むしろ、即興演奏をしないことのほうがタイヘン。ではないですかねえ??多分。もちろんそれが常に出来の良い演奏とは限らないが、即興演奏はほんと、ほっとけば出てくるものではないかなあ。ネタ切れとかありえない。まあ、だいたい似たようなものの連続におちいることが多いけど、気にしなけりゃいいワケで。まあ、「ほっとく」ことが上手になると、善し悪しはともかく、ネタは無尽に出てきます。
とはいえ、若い時のこと(いまでも若いが)思い出すと、なにか四苦八苦していたこともありましたし、なにをやっても「意味がない」ように感じたり。いまでも調子が悪いとそうなっちゃうかもしれない。これは、一種オープンな精神状態にあることが、必要なのかな…。
まあ、なにしろ自然に出てくるものなので、この自然を守ることが必要になってくる。あんまり荒らさない。ほっとく。充分休養をとるとか、ホンモノの自然にふれる、とか芸術作品にふれる、映画を見る、仲間と宴会、なんだか一見アヤシげなものとかいいかげんなものに対してもいちおう心を開く、等々。こういうことも、以前は理解できなかった。音楽を聖域に入れていたというか。練習して上手になるほどつまらなくなっていくという逆説は、やはり自然保護を怠ったときにおこりやすいのかもなあ。
ということで、自戒のためにここに記す。

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追記
あっそうか。どうしたら即興演奏できるか?という問いは、どうしたら「良い」即興演奏ができるか、という問いであるんだな。善し悪し考えなきゃそんなの誰でもできるよってことで。ということは、さしあたり善し悪しを考えない。これが正解か?
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追記の追記
このようなことはもう何十年も堂々巡りして考え続けている事柄です。まあ、回っているうちにらせん状に少しづつ上がってはいるのか?わかりませんが、そのうち昇天するのは間違いない。
ということで、さしあたり善悪を考えない。小さな自分のスケールでの善悪を考えないで放っておく、というのは大乗仏教にも通じるのか??いや、そういうふうに話をひろげるのは良くない(この数十年でそれは悟った)。あくまでも自分の行動で得られた感触で考えた方が良いのです。だからワークショップを主催するとかもすごく良いです。
 ま、とにかく、さしあたり良し悪しなんて考えないで沸き上がるままに演奏する。また、すぐに自由にならなくても気にしない。演奏している自分に道徳的etcで干渉しない…。これがテクニックといえばテクニックかな。ひらたく言えば、自分がホントに楽しい状態になることで、聴き手にもそれが伝染する。伝染しない時もある。もうそれはしょうがない。

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