2015年4月22日水曜日

tenor saxophone solo on 22 Apr 2015 アップしました


ま、なんというか、そのまんまなタイトルですが。
お楽しみ頂けると嬉しいです。私も、録音してる時は楽しかったけど、なかなかうまく録れないもんですね。餅は餅屋というやつ。以前よりはだいぶマシかな…。
朝からごちゃごちゃとやっていて、(というか、昨日の夜からひきつづき)ほとんどワケがわかんなくなったという感じの最後のテイクです。


これは今年のお正月ソロです。試聴は無料です。


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で、いま(4/22)昨日あげたものを聴きなおしてますが、う〜ん、音があんまり面白くないなあ…。音の間合いとかも思ったより詰まり過ぎかな。まあ、間合いなんて、音に魅力あればオプションだな。録音を重ねるたびに、物理的にというか生理的にというか、耳がハイ落ちしていたことに思い当たる。だんだん音がまろやかになってきたな?と感じたのは単なるハイ落ちだったようで、昨日とったものを並べて聴いてみるとなんにも変わってないというかだんだん音が痛くなってくる。

ひとつ気がついたのは、即興だけに「まちがい」というものが、ない。「まちがい」は異次元の世界の窓である、と思うと、この「まちがいの無い世界」のなんと薄っぺらで含みの無いことよ、と思ってしまった。即興演奏で起こりうる間違いとは、録音ボタン押し忘れた、とか、 そのくらいしか思いつかないな。もちろん、「間違えないように気をつける緊張感」が素晴らしいと言ってるわけでは、まったく無い。何をどうやっても可能性の一つのオプションとして常に進んでいくわけで、これは気がついてしまうと無限地獄の可能性を含んでいる。事実、昨日は無限地獄に近い状況で、耳がハイ落ちしてしまったわけだ。

内的にはもちろん、音を出すなり変化させるなりの瞬間の直前の瞬間に自分でイメージしたものと実際の響きとの違いを「まちがい」と呼べるかもしれない。確かに、この差異がないと、本当に困ってしまうに違いない。この差異こそが自分の状態をリフレッシュしてくれるのだ。楽器に長けてくると当然、この差異は小さくなる(小さくしないと仕事はできない) 。即興演奏してもなかなかリフレッシュされない、という現象が起こり、いきおい、2本くわえて吹いてみたりマウスピースをはずして吹いてみたり特殊な奏法を多用したり、ということになる。しかし、これも重ねているうちにうまくなってきてしまい、また同じ状況に陥る。ところが、ハタから見ているとこれらの現象は「バカ」にしか見えなかったりする…。

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