2013年8月29日木曜日

俺の投げ銭ライブ(つづき)

なんというか、原価というものとか仕入れというものがある真っ当な経済活動とは違い、音楽ライブ等その価格の根拠というものが第三者にはよく分からない、というものは多い。書物なんてその最たるものだろう。計測不能だと思うのだが、経済学者はそういうのはどう位置づけているのか。まあ、需要と供給のバランス、なんていう退屈な論理が出てくるのだろうな。需要と供給のバランスで音楽を制作するとき、作る側としてはまさに「不毛」の地をひたすら歩んでいるようなものである。無限に湧き出る泉の水を飲む時でも、人間の経済活動とは◯◯ドル/リットル、という交換可能な価値付けをしないではにっちもさっちもいかなくできている。本来は誰の持ち物でもなかった地球の表面に「土地」というシールを貼って、いつの間にか誰かの持ち物になっていて「坪単価」というものが設定されている。別に原始共産制がいいのかと言うとまた別の話になりますが。そういうのは置いといて、素朴な驚きとして、何にでも値段が設定されている。これはつねに疑ってみたほうが良いのではないだろうか。投げ銭の額を決める時、この貨幣に対する疑いというのは最高潮を迎える(ってほどでもないか…??)。

(つづく)

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